気まぐれエッセィ

佐渡の元気をデザインする。プロデュース工房【ボッテガ・サド】
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皆さんありがとう。トキの里山弁当は終了
 3念以上がんばってきた「トキの里山弁当」は、この5月をもって、しばらく終了します。今日も、各方面に予約のキャンセルをお願いしましたし、手紙などをくださったお客様には返事を出しました。ボクとしては、まず、一緒に手伝ってくれたお姉さまたちに感謝、クチコミで評価をしてくれた方々に感謝、リピーターとして何度もご利用いただいた方々にも感謝。また製造場所や原材料の協力をいただいた方々に感謝したいと思う。  「トキの里山弁当」はしばらく休みますが、いつの日か、万全の体制で復活することを期待したいと思います。少なくとも、佐渡にろくな弁当屋がない限り、ボクらが、基本線を示すしかないと思うからです。
988 5月5日の背比べ〜♪
 「柱の傷はおととしの〜、5月5日の背比べ〜♪ ちまき食べ食べ兄さんが 計ってくれた背の丈」という唱(うた)は聞いたことがあると思うが、なぜ、「ちまき食べ食べ」なのかを知っている人は、どんどん少なくなっている。ましてやこれが中国戦国時代の詩人屈原と関係があることを知る人なんてもっと少ないだろう。  屈原は、春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが、中傷に負けて受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。屈原の心配どおり秦の謀略家張儀の罠に懐王が引っかかり、楚軍は大敗した。石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。後に屈原の無念を鎮める為、また、亡骸を魚が食らわないよう魚のえさとしても人々が笹の葉に米の飯を入れて川に投げ込むようになったと言われ、これがちまきの由来とされる。また、伝統的な競艇競技であるドラゴンボート(龍船)は「入水した屈原を救出しようと民衆が、先を争って船を出した」という故事が由来であると伝えられている。屈原の強烈な愛国の情から出た詩は楚の詩を集めた『楚辞』の中で代表とされ、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された。だから詩人の別名は「騒人」ともいう。心をかき乱すからだ。  そして「端午の節句」のことだが、旧暦では午(ご)の月は5月にあたり、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったという。「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、元々「端午」は月の始めの牛の日のことだった。後に、数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったともいう。  ちまきや柏餅と、鯉のぼりに菖蒲(「尚武」)湯、……柱の傷以外にもたくさんの想い出があったはずの端午の節句を、お父さんは、息子たちと一緒にお祝いしたほうがいいと思う。 鯉のぼり
987 マイカー大破!
 先週土曜日早朝、ボクは交通事故を起こしてしまった。車歩道境のブロックをまたいだ形で道をはずれ、そのまま浮すべりしたまま交通信号機柱で止まった。車の前部がV字型に凹み、ドアが開かなくなった。それより大変だったのは、弁当の仕事を手伝いにきてくれたMさんが後部に同乗していて、胸部分を前シートの背に強打させてしまったことだった。精密検査の結果、打ち身程度ですんでホッとはしたのだが、まったく、何が何やらわからぬ間に起きた事故だった。車はそのまま廃車処分にした。  最近、やたらと交通事故をめぐるニュースが多いが、いつ、自分にふりかかってくるのかわからないところが怖い。車優先社会はいつまで続くのだろう? 文明の利器であり、生活の必需品であることはわかるが、知恵と技術のありように、これでいいのかと考えてしまう。  以来1週間、ボクはどこに行くにも歩くかバスを使うしかなくなった。歩くとなるとせいぜい半径3km以内であるし、バスは1時間に1本の便があるかないかで、体力も時間も大いにムダになる。だが、「ムダなのかなぁ?」と思わないでもない。わずか半世紀前の島人の暮らしはこんなものだったろうに……。  ついこの間まで自分のブログで車を売ろうとしていたのに、金を払って消滅させてしまったのだから、おかしい。といって、新しい車を今さら佐渡で買う気はない。この時期、結構、出かけることが多いのだが、いったいどうするんだろう? パンクしたままの自転車を引っ張り出してくるか?  いろんなことを反省したり、おかしがったり、不安がったり、せいせいしたりと複雑な気分。春の宵らしいモヤモヤが脳にかぶっている。これも転機を示唆しているかもしれない。 マイカー大破
986 老いての島抜けは難しいぞ
 私は都内の不動産会社に勤めている。この時期は来客が多くて忙しい。そんなある日、場違いな客が来た。年の頃は60過ぎのオッサンだ。聞けば、「佐渡が島から出て、東京で働いて暮らしたいから住まいが欲しい」という。はるか昔の杵柄で仕事を再開する思惑らしい。私はこのオッサンに、都内の賃貸事情をイチからレクチャーしなくてはならなくなった。  「あの、お客さんの望む広い間取りは安くないですよ。敷金・礼金ゼロなんていうのは、見せネタでワケありなんです。いい物件があったとしても次は契約です。まず年齢というハードルがあります。60歳を過ぎると難しいですよ。ほら、『孤独死』があるしね。それから定期収入のある仕事についているか否かというハードルがあります。自営業? 問題外です。いくら貯金があるといっても、その残高証明出してもらわないと。また保証人も立ててもらわないと、いや、たぶん、保証協会の審査を受けてもらうことになると思います。今、賃貸物件はみんな管理会社の扱いになるから、ビジネス的に扱かわれます。」  所詮、この取引は金と身分だけがものさし。このオッサンには何もない。過去の想いでくらいしか。佐渡に流されて数年を過ごしたらしいが、そこから抜け出てこようなんて無謀すぎる。おとなしく、つつましく島暮らしを続けて、そこにホネを埋める方が幸せだと思うけどなぁ。なんで今さら、何をやろうというのか? ちょっと普通じゃない。  そんなやり取りをして30分後、オッサンは、とくに落胆する風でもなく帰っていった。「いや、ちょっと話を聞いてみようと思ってね」と。ふう、こっちは忙しいんだよ。困ったもんだ。あ、次の若くてリーマンっぽいのが来た。これはイケルだろう。「ハイ、いらっしゃいませ〜!」 島の出口
985 7年前に考えたことの実現度
 2005年春に佐渡に移住してから、何をやるべきか? 何ができるかを考えて、「ボッテガ・サド」というプロデュース事務所を作った。そこで考えたのが、「佐渡のダサイ裂き織を改善」「佐渡の名物弁当を作る」「新穂の祭りを盛り上げる」「新穂銀山を調べる」「加茂湖八珍・八景を考える」「地域商社・佐渡社中を創立」「新穂提灯の会」……などのプランを立てた。このうち、そのままではなかったものの、「柿渋染」「トキの里山弁当」「新穂銀山とトキの里山を歩く会」「協同組合佐渡社中」「七浦社中」「新穂提灯と竹細工の会」「新穂山車保存会」等々として、なんとか実現できたと思う。確率は60%以上だったと思う。プロデュース実績としては悪くないが、未練は残る。  残っているプランをなんとか今年度内にも実現しようと思うし、東工大の仲間などの力も借りられるようになったので、不可能ではないだろう。この経験から分かったことは、「プロデュースとは夢をカタチにすること」ということは、まず「夢を見る力」が必要になるし、カタチにするための戦略、技術、ノウハウ、資金、仲間も必要だということ。  それと大事なことは、『与えなければもらえない』ということ。まず、誰かの夢に手を貸すこと。力を惜しまないこと。そうでなければ、誰も力を貸してくれるはずがない。まずは、自分から投資することだと思う。佐渡の観光にしても、農林漁業やその他活性化事業にしても、まずは、自分たちの力を誰かのために費やすことが必要なのだ。だけどボクには、佐渡人は、自分から手を貸さずに、他人の援助、好意ばかりをもらいたがっているように思う。これはさもしいし淋しい。 ボッテガ マーク
985 佐渡暮らし中間総括?
 昨日、新穂の山王祭りが終わった。ボクらは、新穂山車保存会として、復活させた山車を引き回し、日本舞踊や大黒舞の演舞、さらには鬼太鼓とのコラボパフォーマンスもやり、目標以上の寄付もなんとか集めた。一緒に汗を流した大工のトシオが、振る舞い酒に少し酔いながら、しみじみ言った。「いいなあ、こういう昔ふうの祭りの景色がなごむなあ」と。彼らしからぬ抒情たっぷりのセリフに思わず噴き出したけど、たしかにそうだ。祭りの原点は手作りの祝い事だというのはボクも同感。  それにしてもこれで8度目の山王祭りを迎えた。いろんなことが大きく変わろうとしている。とくにたくさん親戚・友人・知人がなくなった去年から半年におよぶ冬場は、かなり落ち込んだ日々を過ごした。「これはもう限界だな」とも思った。どこかで無理をしてきたことを痛感。年が明けてから「このままではいけない」と決意。足元の土台から見直すことにした。ムダやムリを切り捨てるしかない。たとえば、「弁当屋」稼業をやめることもそのひとつだろう。柿渋屋もそろそろ転機だと思う。 実はこの両者とも、四月に入って次々と注文が来ている。でも、それに流されたら、同じことになってしまう。  ボクにとって、8年間の佐渡暮らしとはなんだったのか? そんな中間総括をしたいと思う。このブログも1000本書いたらもうやめる。あと15本だ。 新穂山車
984 船弁のこと、了解! さらにガセネタ第2弾
 前回、ガセネタか?と書いた「佐渡 船弁」のことで友人たちが教えてくれた(一人の分は間違って消しちゃった。よかったらもう一度コメント入れてください。ゴメン)。それによると、JRと佐渡汽船からそれぞれに、計2種の弁当が発売になったという。新聞では既報らしいが、新聞はとらない主義なので読んでいなかった。記事は、http://blog.goo.ne.jp/pegasas1939/e/0c9a8ba77c89fa06fc38369b8c517eb6  さて、その弁当、まだ食べてないからコメントできないが、製造者は島内かな? 味はどうか? あの上越新幹線系弁当並みってことないよね。ま、もうどうでもいい。大きな資本がしっかりやるというのだから、ボクらがクロウすることはない。「トキの里山弁当」は、今年から止めることにしたいと思う。  それより、ガセネタ第2弾、という話はどうだろう。今年2月に、ある人々の集会に行って小耳に挟んだことなのだが、佐渡の土地とくに山林が中国人に買い占められているという。佐渡に水源山林保護条例があるのか否か知らないが、巧妙に擬装されながら、私的な売買で進んでいるらしい。そして、新潟市における中国領事館の土地取得問題と同じことが佐渡でも起きているらしい。たとえば、加茂湖のそばにある道の駅が、いつのまにか、中国人による国際芸術学院なんとやらのものになっていることがその一例だという。一応、社会人向けに開放された、各種学校っぽいのだが、真相はわからない。  ちなみに、中国資本による日本の山林買占め件数は、現在約40件、北海道がその9割を占め、延べ面積は620ヘクタールだという。日本人は、中国の土地を買うことはできない。こうして聞かされると、たしかに、「ヤバイかも」と思う。もう少し、ちゃんとしたジャーナリストによる調査報道が欲しいところだね。 佐渡 弁当
983 佐渡汽船が4月から「船弁」発売はガセネタ?
 四月馬鹿という今日だが、ボクはひとつの噂が気になっている。もしかするとガセネタかもしれないが、「佐渡汽船が4月から「船弁」発売する」というのだ。そして、そのことは地元のラジオ局が報じたという。本当か? それはどんなものか? と気になって、いろいろ検索するのだが、あの「佐渡の翼」くんもフォローしていない。この情報を教えてくれたのは、ミカちゃんだが、彼女が聞き間違えた可能性もなしとはいえない。  少なくともこんな話は、去年まではなかった。というか、「船弁」を開発せよというアイデアは、8年前からぼく自身も提案してきた(旧ボッテガ・サドのHPにて)。むろん、当時ブームになった「空弁」にあやかってのものだった。でも、このアイデアは、結果として、うちの「トキの里山弁当」が佐渡弁当コンテストで最優秀賞を取ったことで、自然消滅していた。そして丸3年たって、去年秋、ボクは、その佐渡汽船(厳密には汽船商事)から、「来年春から、弁当を定期的に納入してくれないか?」と打診を受けていた。「買い取りで、修学旅行などへの対応もお願いしたい」との話もあった。それを受けるか否かは、ちょっと置いておくが、今春にも、同社営業部門の会社からも注文と「これをもっとPRしたい」とも言われた。  佐渡汽船がオリジナルで「船弁」を作るとしたら、誰が作り、どんなもので、どこで売るのか? いくらで……等々を知りたい。佐渡汽船が、従来の弁当が不評で、「目新しいものが欲しい」と考えていることは前から知っていたが。そのために自力でプロデュースできるとも思えない。仕掛け人がいるのかもしれない。だとしたら、それは誰?   もう、「トキの里山弁当」も四年目に入るが、正直なところ「もう、いいだろう」と思っている。受賞はしたものの、そして「専門業者のサポートを」と訴えてきたのに、まったくの自力でがんばるしかなかったのだ。そろそろ、卒業したい気分なのであるから、この「船弁」がうまくいくなら、ぜひ頑張って欲しい。できればガセネタでありませんように……。(写真は熊本フェリーの船弁) 船弁
982  これが呑まずにいらりょうか(涙)
 今日、1通のメールを受けた。同級生K子の旦那さんからだった。それによると、1週間前にK子が、くも膜下出血でなくなったという。はぁーっ、なんと辛い知らせなのか。K子は、ボクにとって、心が開かせる数少ない女の親友だった。小学校6年のときに佐渡に転向してきた頃から中学までは、あまりイイ感じではなかった。なんだか、ボクにやけにつっかかる子だった。高校では、普通に話せるようになったが、心が通じるようになったのは、社会に出て、東京在住の中学同級会で会ってからだった。あけすけに、なんでも話してくれた。サバサバした性格で、家族思いで、好き嫌いがはっきりしている。それでいてかなりナーバスでもあった。美術系の学校を出てデザインの道に進んだという共通項があったからなのか、それからどんどん親しくなり、彼女が結婚・出産してからは、家族ぐるみで仲良くなったし、誰にもいえないという心の悩みを聞いてあげたこともあった。そして、佐渡が、新穂が好きなひとだった。この夏に、また会えるだろうと楽しみにしていたのに……。  振り返れば、この半年の間に、大好きだった叔父に始まって、好きな人、心をすなおに開ける人が6人も亡くなった。尊敬していたM先生、幼い日々を覚えてくれていたJ家の母、新穂の焼肉屋「マキ」のパパ、やはり同級生であるSの旦那……。1月に1人の割である。このペースで行くと、今秋までにさらに6人が亡くなることになる。とてもたまらない。これならあの世の方が、全然楽しくて、心が和みそうな気がしてくる。どうしても自分の死を考えてしまう。だが、ボクはまだ死にたくはない。何度目のリセットがしれないが、さらにまだ生きて、やりたいことがあるのだ。それには、せめてあと5〜6年は生きねばならない。いやいや、自分のことは置いておこう。彼岸へ逝ってしまった人たちのことを、もう少し偲びたい気がする。  あの男、あの女たちともっと時間を持ちたかった。こういう話題は、あまりにブログに書きたいことではないが、あまりにハイペースすぎる気がする。こんな夜は、呑まずにいられない。だが、呑んでも酔えないのが、ホントに辛い。酒は気晴らしにはならないが、弔いの香代わりである。あぁ、それにしても、老いるということは、彼岸の人を偲ぶことか……。 酔う
981 不名誉?の負傷
 また、指を切ってしまった。左手親指の爪側を包丁でザックリと。あっと思った瞬間、まな板が鮮血で真っ赤になり、少し遅れて傷みがきた。あわてて、切り口を水にさらし、布巾やペーパータオルで抑え、輪ゴムで上からぐるぐる巻きにして止血した。飛び散った自分の血を見て、ちょっとくらっと来た。  この程度の傷を負ったのは、これで何度目だろう。佐渡に来た8年間で2〜3回のはず。それもいつも左手。なぜなら、右手にはナタかのこぎりか包丁をもっており、それで自ら傷つけてしまう自傷事故なのだ。う〜ん……そそっかしいのだろうか?どこか不注意なのか、かなり不器用なのか……自分でもよくわからないが、とても不名誉な負傷ばかりだと恥じ入る。  ボクは、ふだんは、あまり怖がることもないし、地震も雷も怖くない。血をみるのもさほど怖くないつもりでいる。だが、自分から大量の血が出る場合は別らしい。小学校の頃、検査で採血される注射器内の血を見て、貧血を起こしたことがある。前回、ナタを中指に食い込ませた時も、地面に滴る自分の血を見て、少しフラッとなった。フラッとする少し前に、自分の中から生気が抜けてしまう連想をするのも変だ。単に、気が弱いのかもしれない。だから、いくらすすめられても献血する気になれない。  女は毎月自分の血を見ているから、割と平気なのだが、男はそういう経験をしないから血には弱いのだという説がある。でも、頻繁に貧血するのは、女性が多そうだ。よくわからん。「血の気が多い」「アレは血筋だ」「血が騒ぐ」「血道を上げる」「血は水より濃い」等々、「血」にまつわる成語が多い。それだけ、人々にとって特別なものなのだろう。この「安心・安全」で、「清潔な」時代にあっては、まじまじと、血を見る機会というのはどんどん減っている。きっと、そのまれな機会に直面して、心身ともパニックに陥る人も多くなるのではないか? ま、この程度のささやかな体験は、たまにはしておいてもいいのかもしれない。(傷のため、キーボードの特定のキーが打ちづらいのと、リモコンボタンが押しづらいのは困るが……) 血

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