気まぐれエッセィ

佐渡の元気をデザインする。プロデュース工房【ボッテガ・サド】
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973 ガラにもなく部屋に花を……
 ボクの母方の祖母は、戦後すぐに提灯職人だった連れ合いをなくし、嫁いでいたボクの母を除く3人もの子供たちを自分ひとりで育てなければならなかった。だからいろんな商売を手掛けたり、近所の冠婚葬祭の台所方を頼まれたりして日銭を稼いでいた。ボクが知っているだけでも、魚の行商、駄菓子屋、パチンコ屋に店を貸したこともあった。その中でも一番長く続いたのは花屋だった。どうやって新潟の花問屋と交渉していたのかはよくわからないが、ともかく熱心だった。ボクが、「花屋はおもしろい?」と聞いたとき、祖母は、「花ハッソウバイ、薬クソウバイさ」と言って笑ったが、幼いボクには意味不明だった。後で考えて、「八層倍、九層倍」つまり原価の8倍、9倍もかけて売るものなのだ、という意味だった。まさか、そこまではしなかったと思うが、それなりに稼げたのだろう。  そんな祖母がいたのに、ババ不幸なボクは、花にはさっぱり関心がない。花を買ってくるのは春秋の彼岸の時だけだ。なのに、今は花がある。日曜日に亡くなった遠縁の詩人?の葬式に使ったものをいただいたのである。近所に居る縁者では一番知的な、やさしい人だった。享年81歳。死因は心筋梗塞。何の予兆もなかったらしい。告別式に列席したおばさんたちが「“ピンコロ”で良かったなぁ」と言っていた。昨日までピンピンしていた人がコロリと亡くなる、理想的な死に方だという。もっとたくさん、話をしたい人だった。  父が作ったゴツイ花瓶にさしてあるが、白菊ばかりのいかにも地味な葬式花である。入りきれなかったために洗面台においたユリが、少しづつ開いているらしく、その香りが部屋に広がりだした。黄色くて真ん丸な菊は、伊藤若冲が中国の紙を使って描いたボカシの菊と同じ種類のようだ。  外は雪。深深あるいは沈沈(いずれもシンシン)と降っている。明朝までには今年一番の積雪になると予報されているが、今のところ大したものではない。花を見ながら、ユリの香に包まれてボケッとしていると、とりとめないことを考える。次々と、好きな人が死んでしまう……、今年は一体どうなるのか……、読んだ本は誰かに引き取ってもらおうか……等々。毎日、何事もなく、つつがなく過ぎて行くのは、悪いことではないだろう。 (このブログと並行して、ホームページにも別の日記らしきものを書いています。よかったら見てください。http://bottega-sado.info)、 hana
972 描き初めは「山」?
今日は「書き初め」の日であるし、今夜は「姫はじめ」である。分かる人はチョイすけべかも。そしてボクみたいな独身者は「カキ初め」かな……これも、ヤラシイかも。  下ネタはさておき、ボクは今日、Tシャツに柿渋で「山」を描いた。黒い色は、柿渋に鉄を混ぜて作る「黒渋」である。イメージは、里山なれど、標高高くなるとどうなるか、というもの。そして裾には霧か靄か雲なのか……。もちろんかなり酔っているからできること。今年も「飲んだらいつもの〜悪〜いぃ、く〜せ〜♪」。でもたぶん、この作品はモノになると思う。2500ぐらいで売れると思う。でも、なんとなくもっと描きたくなってきたなぁ〜〜。いやいやダメダメ。ここはガマンでしょ。  「目先のことに うろちょろするな〜 昨日と同じ 今日はない〜♪」(『山』北島三郎)。「花にするのも がまんなら〜 山にするのも またがま〜〜ん♪」(承前) ってか。 山
971 年を越える『コックピット』
 この2週間、どこにも出かけず、閉じこもっていた。食べるのも、寝るのも半径1m以内ですませようとしていた。コーヒー、タバコ、酒、本、携帯、毛布……すべてが周りにそろっており、その便利さは日に日に増す。こうしてボクの体にぴったりフィットした『コックピット』ができた。  このまま「宙船(そらふね)」となって時空を超えるのだ〜〜〜〜〜。はい、「その船を漕いで行け〜。お前の手で漕いで行け〜。お前が消えて喜ぶものに、お前のオールをまかせるな〜♪」ってね 、コックピット
970 平成膝枕妄想
師走も残すところ10日を切って、あちらこちらで忘年会やクリスマス会が行われ、すっかり酩酊した男や女が赤い顔して、みぞれ交じりの夜空の下を、軒先渡りでフラフラと歩いている。これはけして悪い風景ではない。冬の佐渡で見かけうる、人々の、ささやかな、そしてつつましい華やぎである。「さあ来い、大みそか!さあ来い、正月。来年こそはオイラの年にしてみせるぞ」と強がっているように見える。  男も女も、2次会3次会を超えたら、三々五々と家路をたどる。千鳥足もいれば、妙にしゃきしゃき歩くのもいるし、10歩歩いては電信柱にもたれかかるのもいる。でもさすがに佐渡の冬の夜は寒いから、へたりこんだり、寝込むものはいない。死ぬぞ〜〜〜!  ボクは想像する。家に帰ってからの、彼や彼女の振る舞いを。「お帰りなさ〜い。あらあら、だい〜ぶのんだのね。風呂はやめて少し休みなさい。お茶をのめば……」と言ってくれるのは、妻か母か、夫か彼か、もしかすると娘かも。その心暖かな言葉に、一挙に体もあたたまる。体が温まれば人間は眠くなる。眠くなって横になれば欲しくなるのは枕。枕といえば人肌の「膝枕」が一番だろう。平成の今、「膝枕」なんて死語かもしれないけど、日本人だけの悦楽である。いいなぁ〜〜〜♪ 誰か、正しく美しい「膝枕講習会」とかやればどうかな。ボクの妄想はとめどなくなってきた。やばいやばい。 ひざまくら
969 佐渡のモノを売る難しさ
●先日、相川でJR系のテナント管理会社の人たちとミーティングをした。来年3月から新潟駅の南口広場(新潟市所有)で、毎週土曜日にテント店を出し、佐渡の物産を販売してほしいという依頼を受けて、相川方面の仲間たちとともに、企画や要望なりを意見交換しようという趣旨だった。そう、このイベントは今年もやったことだ。ボクも柿渋衣料雑貨を売った。しかし、結果は思わしくなかった。交通費も考慮すれば赤字のことが多かった。相川チームも10月までの間に数回しか出店しなかったし、赤泊の裂き織りを持ち込んだHさんだけがかろうじて売り上げていたが、彼女は、数年前まで新潟の大手デパートにも出していたからその顧客を持っていたからだという。そしてやはり、「来年からは、やり方を工夫せんとつらいわなぁ」と言っていた。佐渡モンだけでなく村上など県内遠方から“義理”出店したところも長続きはしなかった。ともかくあきれるほど人の流れがないのである。さて、どうするか? みんなで話し合ったが妙案は出ない。「これってホントは佐渡市役所や観光協会がやることじゃない?」との思いを痛感。 ●佐渡の産品を島外に売り出すことは本当に難しい。単発的なイベントで好成績を収めることはあっても蓄積されず、継続もされないから大きなチャネルが開かれることはない。S社のように、佐渡市の期間限定の補助を得て島内だけでなく都内オフィス街に出店しているところもあるが、ブレイクしている話は聞かない。現場を見てのボクの感想は、前にもここの記事に書いた。通販はどうか? いっとき次々立ち上がった佐渡産品のサイトも次々とつぶれている。残って、経営的になりたっているのは3社もあるかどうか……。個店・個別業者はもっと悲惨だ。かくいうボクも、そうした企図で立ち上げた地域商社(事業協同組合)も、解散手続きに踏み切った。 ●そもそも、佐渡の産品で、いったい何が売れるのか? トキ認証米が好調だと関係者は強調するが、市場を抑えるだけの数量が確保できているとは思えない。酒? 水産物? 農産加工食品? 乳製品? 工芸品? 海洋深層水?……ブランドになっているものは何もない。みんなが新商品開発というが、そう簡単にできるものではない。「地産地消」というコンセプトが双刃の剣になる。それは、せいぜい流行の「安全・安心」というキャッチフレーズを使うぐらしかない(本当かどうかは別にして)。うまくいったとしても「志ある作り手から、志ある買い手に」という「志産志消」の小さな市場にならざるを得ないのだ。日本社会はそこまでハイブローではない。むしろ基本に戻って、全体を見渡して、「地産地商」とか「地産地工」を考えねばというのがボクの持論。だれも聞いちゃくれないけど……。 ●今、佐渡では寒ブリが豊漁だともっぱらの噂。でも、佐渡の店には出回ってないねとも。多くが築地に直送されているらしいとも聞く。でもブリ漁関係者には久々の朗報ではあっただろう。さて、そのブリが佐渡ブランドで売れるかというと、これも難しい。富山の氷見が一番だ。富山は昔から名古屋と結ばれた中京文化圏であり、正月には富山のブリが名古屋方面からひぱりだこになるという歴史がある。佐渡は、ブリを食べこなす食文化が遅れていたのだから、ブランドを支えるストーリーがないのだ。リクルートのジャラン編集部のプロデュースで作られた佐渡のご当地グルメ(決して佐渡のB級グルメとはいわない)「ブリカツ丼」 が奮闘しても、佐渡の人はやや冷やかである。地元で盛り上がったり、定着したりしないものがブランドになるはずがない。 ●さて、来年、佐渡の産品は、いやその商売はどんな展開を見せるのだろう? ちゃんとデータを、持ち寄りながら、広い視野でアイデアを出してくれる人の話を聞いてみたいものである。年末が近づくと、どうも「来年展望」みたいな、おおざっぱで無責任な話になってしまう。これは反省…… ●先日、相川でJR系のテナント管理会社の人たちとミーティングをした。来年3月から新潟駅の南口広場(新潟市所有)で、毎週土曜日にテント店を出し、佐渡の物産を販売してほしいという依頼を受けて、相川方面の仲間たちとともに、企画や要望なりを意見交換しようという趣旨だった。そう、このイベントは今年もやったことだ。ボクも柿渋衣料雑貨を売った。しかし、結果は思わしくなかった。交通費も考慮すれば赤字のことが多かった。相川チームも10月までの間に数回しか出店しなかったし、赤泊の裂き織りを持ち込んだHさんだけがかろうじて売り上げていたが、彼女は、数年前まで新潟の大手デパートにも出していたからその顧客を持っていたからだという。そしてやはり、「来年からは、やり方を工夫せんとつらいわなぁ」と言っていた。佐渡モンだけでなく村上など県内遠方から“義理”出店したところも長続きはしなかった。ともかくあきれるほど人の流れがないのである。さて、どうするか? みんなで話し合ったが妙案は出ない。「これってホントは佐渡市役所や観光協会がやることじゃない?」との思いを痛感。 ●佐渡の産品を島外に売り出すことは本当に難しい。単発的なイベントで好成績を収めることはあっても蓄積されず、継続もされないから大きなチャネルが開かれることはない。S社のように、佐渡市の期間限定の補助を得て島内だけでなく都内オフィス街に出店しているところもあるが、ブレイクしている話は聞かない。現場を見てのボクの感想は、前にもここの記事に書いた。通販はどうか? いっとき次々立ち上がった佐渡産品のサイトも次々とつぶれている。残って、経営的になりたっているのは3社もあるかどうか……。個店・個別業者はもっと悲惨だ。かくいうボクも、そうした企図で立ち上げた地域商社(事業協同組合)も、解散手続きに踏み切った。 ●そもそも、佐渡の産品で、いったい何が売れるのか? トキ認証米が好調だと関係者は強調するが、市場を抑えるだけの数量が確保できているとは思えない。酒? 水産物? 農産加工食品? 乳製品? 工芸品? 海洋深層水?……ブランドになっているものは何もない。みんなが新商品開発というが、そう簡単にできるものではない。「地産地消」というコンセプトが双刃の剣になる。それは、せいぜい流行の「安全・安心」というキャッチフレーズを使うぐらしかない(本当かどうかは別にして)。うまくいったとしても「志ある作り手から、志ある買い手に」という「志産志消」の小さな市場にならざるを得ないのだ。日本社会はそこまでハイブローではない。むしろ基本に戻って、全体を見渡して、「地産地商」とか「地産地工」を考えねばというのがボクの持論。だれも聞いちゃくれないけど……。 ●今、佐渡では寒ブリが豊漁だともっぱらの噂。でも、佐渡の店には出回ってないねとも。多くが築地に直送されているらしいとも聞く。でもブリ漁関係者には久々の朗報ではあっただろう。さて、そのブリが佐渡ブランドで売れるかというと、これも難しい。富山の氷見が一番だ。富山は昔から名古屋と結ばれた中京文化圏であり、正月には富山のブリが名古屋方面からひぱりだこになるという歴史がある。佐渡は、ブリを食べこなす食文化が遅れていたのだから、ブランドを支えるストーリーがないのだ。リクルートのジャラン編集部のプロデュースで作られた佐渡のご当地グルメ(決して佐渡のB級グルメとはいわない)「ブリカツ丼」 が奮闘しても、佐渡の人はやや冷やかである。地元で盛り上がったり、定着したりしないものがブランドになるはずがない。 ●さて、来年、佐渡の産品は、いやその商売はどんな展開を見せるのだろう? ちゃんとデータを、持ち寄りながら、広い視野でアイデアを出してくれる人の話を聞いてみたいものである。年末が近づくと、どうも「来年展望」みたいな、おおざっぱで無責任な話になってしまう。これは反省…… 企画書
968 最近、読んだ本のこと
●このブログのカテゴリーの一つが本や映画などの話題だったが、本についてはこのところほとんど書いていなかった。半月以上昔のことはもう、思いだせないというトホホな脳みそなので、東京に行ってきた前後の本だけ思い出してみよう。 ●行く直前からずっと読んでいたのが、ポールオースター。「孤独の発明」(なんとすごい題名)、「リバイアサン」、「幻影の書」(無声映画の最後の役者をめぐるミステリー)。上りの新幹線の中では宮本常一の「私の日本地図・佐渡」(未来社)を読む。科学的というより現場の直感がすごい民俗学者だとあらためて思う。ひまつぶしにはローレンス・ブロックの「殺し屋 最後の仕事」、スウェーデンの作家で若くして亡くなり、遺作3部作が世界で6000万部も売れたスティーグ・ラーソンの「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」はおもしろかった。2部、3部も読みたい。若い才女としてインド系作家ジュンパ・ラヒリの短編集「停電の夜に」は、21世紀のO・ヘンリーかブラッドベリという感じ。日本ものでは、若いころの宮部みゆきの「長い長い殺人」。財布が主役という設定もやや飽きる。今の宮部の方がやはりはるかに達者だ。掘り出しものは、井上ひさしの「手鎖心中」と「吉村昭の平家物語」。戯作人という井上の自己規定が気持ちいいし、今、ボクが気にしている山東京伝の周囲の人物像もおもしろかった。「平家もの」はたくさんあるが、子供むけに書いたというが、冗長な部分と説教臭さを削ることが彼なりの翻訳作法だったのだとう。実に読みやすかった。 ●帰ってきてからこの数日読んでいるのは、坪内祐三の「慶応3年生まれ、7人のつむじ曲がり」とケネス・ブラウワーの「宇宙船とカヌー」。これらについては後日書こう。アンデルセン「絵のない絵本」とか、「まんが版失楽園」(Jミルトン)、「日本仏教の可能性」なども読んだが、とくにいうこともなし。書棚から再読・再再読する本を探すのだが、ベトナム戦争をテーマにした生井英考の「ジャングルクルーズにうってつけの日」が見当たらない。いい本だったから、誰かに読めよとすすめたのか、それとも東京に置いたままなのか……。アマゾンで買いなおそうかな……。冬眠用にもう少しいい本をかき集めておかないとなぁ。それと電子ブックも欲しいなあ、サンタクロースさん! 孤独の発明
967 ひと月のブログ・ブランク
●「生きとるか?」……何人かからそう声をかけられた。みな、「ブログが更新されてないから、死んだのかと思ったよ」という。シ失礼な!ブログを更新しないからといって死んだと決めつけるとは。でも、半分うれしかった。こんなボクでも気にしてくれている人がいる。更新しなくなってからでも毎日200人からの人がアクセスしているから驚く。 ●ブログを更新しなかった理由は簡単。本拠地のホームページを、モリト君が新しくしてくれるといい、そこには今のJUGEMブログは持ち込めない。新しいブログスタイルになるという話だったので、「そうか、じゃ、ホームページがあたらしくなるまでは、ブログは休みだな」と思った。ブログのJUGEMサイトはそれとは独立していることを忘れていたのだ。一方、モリト君によるホームページの更新は遅々として進まなかった。予測していたことだからボクは気にしていない。彼も仕事を持っているから片手間での更新作業は大変なのだろう。 ●どうも、この頃、みんなの集まる場所はFaceBook(FB)になっているようで、日々の、友人・知人の消息を知るだけならこのFBだけで用が足りる。ちょっと記事をアップすれば、誰かがコメントをくれる。ブログよりはるかに手軽だ。でも、ボクはFBにはあまり投稿しない。SNSサイト特有のベタベタ感がどうしても漂う。かつてのメイリングリストやMixiがそれだからやめた。ツィッターも、フォローしたりされたりすることに、それを感じてほとんど閲覧はしない。 ●ブログを書くときは、それなりの起承転結を置き、一見、離れた画像と組み合わせる。自分の気分を、気まぐれを書きやすい方法を模索しているのだが、毎回、ヨタヨタした文章だと反省もする。でも、960本の記事を書いてきた今は、何とか1000本まで書いてやめようと思っている。それは、ボクが佐渡を離れるタイミングかもしれない。あるいは、継母ムツコさんを見送る時なのかもしれない。リアルな暮らしの中に、やっと心通う伴侶が見つかる日なのかも(ま、これはないんだけど……)。区切りがいいじゃないスか。 ●1000本に達するまでにはあと33本。3日に1本のペースで書いても100日つまり3ヵ月強かかる。3月の“卒業”シーズンまでにはなんとか終わることになる。そしてその頃には、暮らしに新しい一手を打たねば、ボクは人間として立ち腐れしそうな危機感もある。それには、今の足元を見つめて、今の立ち位置から次の立ち位置へと飛び立つための座標を見極めねばなるまい。人間関係も大きく変わる。それも一種の勇気かもしれないし、智慧かもしれない。人生3度目か4度目のターニングポイントと覚悟している(ちょっと、大げさで悲壮ぶっているけどね)。 ●今月初めに、叔父の四十九日法要(満中陰法要)に上京してきた。新幹線のホームで見かけた新しい弁当メニューは1300円もするものだった。これは来年へのヒントの一つになった。また、東急ハンズで初めて5年間日記を買った。あと5年は生きてみようと思ったからだ。てなわけで、来年からの1日1日をどうシフトチェンジするかを、このところ毎日考えているのだ。 東京弁当2011
966 やってしまった〜、鵺(ヌエ)のような天ぷら
●だらだらTVをつけていて、「ジャッキーチェンってウッちゃんにも似てるけどアスカにも似ているなぁ」と思い、PCでYouTubeをチェック。そしたらいつのまにかハマショーにはまっていた。うろおぼえだった名曲が次々に見つかった。その間にTVはいつのまにか「MONGOL800」が沖縄でやったライブ番組。福島でがんばったサンボマスターもスターダストレビューも小田和正もドラゴンアッシュまで出ているではないか……。気分はどんどんノリノリに……これは危険な兆候だ、と気づいたのだが、もう遅い。なにせ、シラフではない。ビールもどき2缶とウィスキー3杯を飲んでいる。となれば、「飲んだらいつもの悪いクセ〜♪」(やんちゃ酒)が止められなくなる。今夜はMUSE(美神)降臨ではなく、ガストロミノーつまり「食神」降臨らしく、料理を作りたくなった。頭の中の残り1割になったシラフのボクが、「落ち着け、落ち着け」とささやくのだが、いちど踏み込んだアクセルは、惰性でも走ろうとする。 ●何とか落ち着いて、大きなサツマイモの天ぷらとうどん用の天かすはうまくいった。しかし、ブレーキらしきものが働いたのもここまで。冷蔵庫から、作り置きのかぼちゃの煮物を引っ張り出して、そのまま揚げ粉のボールの中でグチャグチャし、たぎる油の中に投入。それをさらにグチャグチャ&ブツブツ……。できあがったのは、まるで鵺(ヌエ)のような天ぷら?だった。 ●鵺って知ってる?「サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビで(文献によっては胴体については何も書かれなかったり、胴が虎で描かれることもある。また、『源平盛衰記』では背が虎で足がタヌキ、尾はキツネになっており、さらに頭がネコで胴はニワトリと書かれた資料も存在する[1]。)、「ヒョーヒョー」という、鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いた、とされる。(Wikipedia)。ようするになんとも形容しがたい、醜悪・不気味なモノなのである。それをボクは食おうというのだろうか? ●今夜の気分は、こんなものだったのかなぁ? 少なくとも昨夜までは、結構カタイ本を読み、スケージュールもチェックし、晩秋にふさわしく、「人生とはなんぞや」なんて考えてみるのもいいなぁという気分だったはずなのに……。ま、いいか。せっかく作ったんだから、この「ヌエ・天ぷら」をサカナに、もう一本缶ビールもどきを開けてから寝てしまおう。ウン? ブランド名は「冬の贈り物」だって。聞いたことないが、銘柄にこだわるわけでもない。それにしても、ノーテンキ過ぎないだろうか、ボクの毎日は……。 天ぷら?
965 深夜の騒音は……
●深夜1時、ゴミを捨てに外に出たら、「ドンドンドン」と何かを叩いているすごい音が聞こえた。こんな深夜に大工仕事をしているひとでもいるのか? 場所は家より両津よりの南線沿いのある家。なんだろうと思ってすぐに気が付いた。「Hさんだ」と。うちの親戚が一人で住んでいる。彼女はすっと一人ぐらし。外には出ないが、TVや新聞をよく見ていていて、島内のこと、近所の冠婚葬祭、いろんな情報に通じているアタマの良い人だった。ボクも佐渡に帰った当座は、何度か伺ったが、いつも歓迎してくれた。 ●しかし、今の彼女は違う。地区の社会福祉協議会のディサービス担当者によれば、「認知症の初期症状が現れたのは2年前。『隣家から怪しい男たちが忍び入ってきて、床下などでクスリをやっては騒ぐのだ』と訴えるようになった」、「しばらくはおとなしくなったのですが、最近また……」という。また、担当の駐在警官によれば、「何度も深夜に電話があります。そのつど伺うのですが、異常はありません。隣家は無住なんです。彼女は、大きな声で『出ていけ、コノヤロー』と叫んだり、追い出そうとするのか、壁を叩いて騒いだりもするので、近隣の人からも苦情が来ています。」、駐在さんは、深夜に家の前で待機したことも何度もあったという。「私が異常ありませんといっても納得しなくて、隣の駐在を呼んだりもするのです」と困惑顔。 ●先月来、Hさんからボクにも電話が来るようになった。行って、床下や天井裏や納屋などを点検しても、侵入できる余地がどこにもない。『あそこの床の隙間で男と女が寝ていた』というが、そこに行くには数センチの隙間しかない。それでもボクが見落としているかもと思い、何度か足を運んだ。そしてHさんの話を訝しく思って、社協と駐在さんに聞いたのが上のような話だった。 ●一昨日も夜中の3時半に電話が来た。「いざというときは、泊りにきてや」と言われて、「いいですよ」と言ってしまったのだから、彼女はその電話をかけたのだろう。だが、悪いがボクは無視した。翌日も電話。「東京に行っておったのんか? おいしい豆腐を取り寄せたからやろかと思うたけも、こん次にするわな。また、帰ってきたらおいでや」。とにかく親切な人ではあるのだ。 ●客観的にいえば、被害妄想というカタチで発症してしまった老人性認知症。両親はとうに亡くなっていて、兄弟姉妹など縁者はいるが、社協から「(入院や介護計画について)相談したい」と電話しても、誰も相手になりたくないらしい。縁者といってもそれぞれの家庭も人生もあるのだろう。 ●今夜の月は十八夜。だが叢雲(むらくも)がかかって晩秋特有の空の色。その空の下にHさんの「ドンドンドン」が響き渡る。歳を経れば、人間の頭にも叢雲がかかってしまう。Hさんのケースは、超長生き社会を迎えてしまった日本の縮図でもある。今夜も日本中のあちこちで、人間を超えてしまった魂が騒いでいるのだとも思う。他人事ではない。今のところ何もできないボクは、心の中で「近所の人たちごめんなさい。駐在さんも迷惑かけるね」とつぶやくしかない。 月に叢雲
964 縦の糸はあなた、横の糸はわたし…
●東京に、某社のイベント取材で前のりして計2泊。1日目、別件の商談交流会とやらに出た後の夜は、某社の担当Sくんと新橋で信州そばの店に入り、秋の新そばをなめこそばとそばがきで味わった。2日目はなんと東京で“佐渡・岩首の著名人”オーイシの「GIAHSと棚田」の熱い講演を聞き、その仲間たちと居酒屋「高田屋」へ。ここはフランチャイズの居酒屋なのだが、あの「菜の花の沖」(司馬遼太郎)の主人公にして実在の人物・高田屋嘉兵衛をコンセプトにし、北海道の食べ物とそばが売り物。ここでも、新そばの辛味大根おろしそばをいただく。佐渡でも呑んでいたなじみの仲間たちとのバカ話もそば割焼酎もおいしかった。 ●翌日の朝、新潟へ。船までの時間があったので駅前のロイヤルホストで、パスタ料理。連日の麺ものづくしだが、佐渡ではなかなか食べられないものを食べて満足。代金1617円也は佐渡人感覚としてはかなりぜいたくだった。食べながら考えていたのは、今回の上京で出会った人々のこと。一体、何人と話しただろう。取材相手も入れたら100人にはなり、名刺交換した人だけでも20人以上……佐渡では人との出会いがほとんどないだけに、貴重な機会だった。しかし、さすがに人疲れして今日は昼まで寝てしまった。人との絆を大切にしなくてはと思う。でも、いらないと思うシガラミは断ち切りたいとも思う。その境目が難しい。今夜、毎年恒例の、講仲間との「おとりこし=お取越し」(浄土真宗檀家による報恩講)。その仲間も7世帯になった。ボクが佐渡に帰った7年前は10家だった。これが半分になるのも時間の問題だろう。自然と消滅する縁もあるのだ。 ●「♪縦の糸はあなた 横の糸は私。織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない♪」という詩は中島みゆきの「糸」の歌詞だが、YouTubeを見ていたら、この歌について「誰も暖められなかった」と、末期がんを宣告された人がコメントしていた。数か月前の投稿だったから、この人はもう亡くなっているかもしれないと思うと、可哀そうになってきた。「人との絆を大切に」というのは簡単、でも難しい。この歌の最後は「縦の糸はあなた 横の糸は私。♪逢うべき糸に出逢えることを 人は 仕合わせと呼びます♪」とある。そうだよなぁ。出逢えたつもりになったことはたくさんあったけど……トホホな話はやめとこう。明日は、未来を考えるとかいう島内初の、廃校小学校でのイベントに出店。今ある絆、これから出逢うかもしれない絆を、ちゃんとしないとね。……う〜ん、この文、支離滅裂だなぁ。 イタリアン

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